テチの一周忌


テチが逝ってから一年が経つ。
晴れた穏やかな空を見上げながら、一年前もこんな暖かい日だったろうかと思う。
息を引き取ったのは20日午前6時半ころ。
あれから一年、早かった、本当に早かった。


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毎日毎日涙していました、それは今でも続いています。
何かしていて手が空いたとき、何かしながらの考え事にテチを思うときなど、それは一日の時間の中に何度かあります。
どこかへ行けば、以前ここに来た時はまだテチは生きていた、とか、一年前の今頃はまだテチはいたんだな、などもよく思いました。
思ってもしょうがないのに。

テチがまだいるときから、ペットロスの不安が大きく、いろいろなことを想定していました。
後々になって、テチの名残が出てきたら悲しいだろうと、砂粒や毛に気をつけて掃除をしていました。(それでもやっぱり後で見つかったものもありますが)
想定外だったこともいろいろありました。
テチがまだいるとき、うちに来た保険の人が、テチと同じ病気のがいて、その子は10年前に死んだと話しながら涙をこぼされました。が、またすぐにすっと普通の話、表情にもどりました。
10年経ってもまだすぐ泣けるんだと心に強く残りましたが、今ならその心境がとてもよくわかります。
思うとすぐに涙が出ますが、切り替えることも早くできます。
逆に言うと切り替えはすぐできますが、悲しい思い出にはまるとかなり落ちます。

テチが逝って、いつまでも落ち込んで沈んでいたら迷惑かけるので、何とかどん底まで落ちないよう、気を紛らわせることを探しました。(ペットロスから立ち直れない不安があったので、ある意味必死でした)
鳥見も旅行も嵐の歌も気を紛らわせてくれました。


何年経っても思い出せばすぐ泣けてしまうけれど、そうしながら普通に生きていくのだろうなと思います。
そして、表面上は変わらず明るく過ごしていても、心の中には深い悲しみがある人はとても多いのだろうということも、今更ながら思います。


動物がくれる体温の暖かさ、ぬくもり、ふわふわした柔らかい毛。今、それらにものすごく飢えています。
その温かいぬくもりにどんなに心を救われたことか癒されたか、かけがえのないものでした。
を飼っている人、犬を散歩に連れて歩いている人、見ると羨ましくてしかたないです。
だけど、今は自分から求めて飼うということができそうにありません。
もし飼うことがあれば、それはテチが私に与える縁、無ければもう一生、他の生き物との生活は無いだろうと思っています。
保護したのななみとその子たちも、私の病気の時期と重なり、やはり縁がなかったのだと思います。
でも、もしどうしても飼いたくなったら、そのために里親探しなどに行こうと思ったときは、その気持ちもまたテチの縁なのかもしれません。

自分の寿命が来てあちらの世界に行ったら、きっとテチに会える、それを信じていたいです。
テチとの出会い、それは私にとって一期一会でした。


10月19日記




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